節電で 弱視の人が 困ってる
2011-06-02


朝食を取りながら眺めていたニュースの中で、原発事故から派生した節電意識の高まりによって、地下道の照明が減らされて薄暗くなっている影響で、弱視といった視覚障害者の方々が苦労している状況が取り上げられていた。
数ある地下道の中でも地下鉄は混雑する時間帯が存在するため、大きな問題となっていて視覚障害者を支援する団体が鉄道事業者に対して、障害者への配慮を申し出ているそうだ。
鉄道事業者も安全を第一に考えてホームの照明を減らしていないため、節電への対応として階段や通路を暮らせざる終えない上に、更なる節電を求める利用者から要望もあって、安全と節電の間で板挟み状態になっている。

俺も軽度ながら視覚障害者に分類されていて、節電の影響で地下道の照明が落とされた状況へ対して、明暗の差が厳しいのでバランスをとって欲しいとの不満を記事にした。
俺でさえも明暗の差でストレスを感じているのだから、更に重度の障害を抱えている方々の苦労は想像するのも難しくて、何らかの形で対応が成されることを祈らずにいられない。

それと同時に鉄道事業者へ送られた更なる節電を求める投書の中に、「私は見えるから、もっと暗くすべきだ」とか「煌々とホームを照らして、非常識だとは思わないのか」といった文面が見て取れた瞬間の怒りが消えてくれない。
日光の入らない地下鉄のホームは照明以外に明かりがないのだから、安全を考慮するなら照明を減らさないと考える事は間違っていなくて、特に通路の狭さから転落事故の多い事実も踏まえれば、当然の対応と思えた。
非常識という言葉を使うのであれば、理由も考えずに非難の声を高らかに掲げて、賢者を気取っている連中を指すべきである。
更に言わせてもらえば、世界中の人間が自分と同じ景色を見ているなんて思わないことだ。

俺の家族でさえも理解してくれない話なので、こんな場所で呟いたところで何にもならないと思うけれど、「見えない」とは単純に目を瞑っている状態とは全く異なる。
「皆が見えるのに、自分だけが見えない」という状況の恐怖は、その場に立ったことのある人間でなければ理解する事なんて不可能だ。
それ故に自分の感覚を引き合いに出して物事を判断して欲しくない。
完全に理解する事なんて絶対に無理だから要求しないが、そういう人も存在する事を忘れず、少しでも良いから話を聞いてあげて欲しい。
[雑記]

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